たくろぐ!

世界一のチラ裏

自分の告別式で述べる言葉

人間は必ず死ぬ

必ず起こると決まっていることがあるなら、早めに準備しても損はしないと思い自分の人生を終わりから逆算してみることにしました。

仮に自分が不慮の事故に遭って、帰らぬ人になったとしてもこのブログのエントリーが参列者の方々への感謝の言葉になれば嬉しいです。

※このブログを書いている今、全く病気もしていないし、ピンピンしてるので心配は不要です!

告別の言葉

本日はご多忙の中、私の告別式にご参列いただき誠にありがとうございます。

またこのような時代ですのでオンライン等、直接ご来席いただかなくてもこのような機会に私のことを少しでも思い出していただけた全てのみなさまに御礼申し上げます。

今まで私と関わっていただき、ときには熱い言葉を交わし一緒に魂を震わせ、ときには私のつまらない冗談に笑ったふりをしてもらったり、みなさまと過ごしたその一瞬一瞬の積み重ねが私の人生の価値そのものです。

何事においても一人でできたことなど一つもなく、みなさまに助けていただき本当に幸せな人生でした。

改めて今まで本当にありがとうございました。

さてこの文章を書いている今私はまだ生きておりますので生きているうちに改めて私の人生を振り返ってみたいと思います。

私の人生を一言で表すと、自由です。

既にご存じかとは思いますが私は思ったことは言わないと気が済まない性分で、私のことを思って言っていただいた言葉も、正面から受け止めずに無碍にしてしまいなかには傷つけてしまったことも思い返せば星の数を数えるよりも多くあったかと今では思います。

みなさまの温情に甘え、ただただ自由に生かされてここまで来られました。

私は以前、世の中に私が生きた証を残したいと考えてがむしゃらに頑張っていた時期がありました。

人生に意味付けをするにあたり、人生の最期に誰に看取ってもらいたいか考えるといいと聞いたことがあり真剣に考えた時期もありました。

そのときは私の生き様に共感してくれる方というのを明確に意識していました。

つまり私の、誰に自慢できるでもないけれども、浮き沈みのある、壮絶な生き方をリスペクトしてもらえる人に最期を看取ってもらえれば幸せな人生だったと思えると思っていました。

しかしまさにこの告別の言葉を書き始めようと考えたときにそれは全く重要ではないことに気が付きました。

死際に思うことは今まで私に関わってくれた全ての人に感謝の言葉を伝えたい、それだけでした。

その後私は生きることに対して意味付けすることをやめて、楽しく生きようとしたとき人生が変わりました。

今の生活はブログでも書いてある通りです。

麻雀を打ったり、連日連夜下北に飲みに出かけたり、朝まで飲んだり、酔っぱらって暴言を吐き散らしたり、家でウイスキーをがぶ飲みしてべろべろになったり、読書の虫になったり、近所を散歩したり、煙草を吸ったり、ゴルフ打ったり、敷布団のない家でかけ布団にぐるぐるになって寝たり、52歳のおじさんと同棲したり、お金の算段をせずに遊びまくったりしてきました。

平凡な社会人で、たくわえもなく、かわいい奥さんもいないですし、目に入れても痛くない息子、娘もいないですが、今まで本当に幸せでした。

こんな自由な生き方ができているのも昔から支えてくれたみなさまがいたからこそだと、本当に感謝しています。

さて最後にお願いになりますが、これを読んだみなさま、もしそのとき私がまだ生きていたらぜひ私と会ってあげてください(ちなみに私はワクチン打ってないですw)。

私はとてもシャイで、皆さんと会いたくてもなかなか声をかけることができません。

人生、明日何があるかわからないからこそ、今会えるときに感謝の言葉を言わせてください。

そして会ったときはハグで迎えてください。

(もう既に死んで冷たくなっていても、ハグでお別れをしてくださいね、お願いします。)

改めて今まで私に関わってくださったすべてのみなさま、本当にありがとうございました。

これ以上が全く考えられない最高の人生でした!!!

あとがき

このブログを書いている今、全く病気もしていないし、ピンピンしてるので心配は不要です!

こういう人に迷惑かけたり、世界の中心は自分だくらい思っている人間ほど長生きするものだと勝手に思っています。

「じゃあ会わなくていいや」という方は手土産も持っていくのでそれ目当てでもいいから会ってください。

最後にぼくが人生を振り返るときにいつも読む、ドラッカーの「95歳時の詩」がとてもいいのでぜひ読んでみてください。

皆さんがご自身の人生を振り返るきっかけになればうれしいです(おまえがいうな

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

今度はもっと間違いをおかそう。

もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。

絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。

この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。

もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。

もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。

もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。

もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。

もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。

もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。

私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?

自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・

もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。

人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。


ピータードラッカー

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