要約
以下が超よくまとまっているから必ず見て。
以下では要約を踏まえて、自分なりの解釈を含めてまとめた。
前提として知っておいて欲しい知識は以下。
この本は以下の予備知識が必要
— Taku Kunita (@takkuso1105) October 31, 2020
・封建制
・カトリック、プロテスタント
・仮想通貨、ブロックチェーン
・金本位制度と管理通貨制度
・外部不経済、コモンズの悲劇
- 経済学は歴史学
- 交換価値と経験価値
- 経済と政治は切っても切れない関係
- 1人1票の民主主義が大切
第1章
格差が存在する理由
貧しい国は経済が弱いから貧しいは嘘。
市場が経済を作る。
1万2000年前の農耕技術によって市場が生まれた。
(ちなみに8万2000年前に言葉(文字ではない)が生まれた。)
もともと豊かな土地では農耕は生まれなかった。
ローマ帝国時代から侵略戦争が絶えなかったのも豊かな土地を求めて必要に駆られての侵略だった。
逆に言えば、今貧しい国は土地が豊かだからこそ、侵略する必要がなかったし、逆に侵略される対象になった。
必要は発明の母、もとを辿ればこれがいまだに貧しい国と豊かな国の格差が存在する原因である。
第2章
農耕から生まれた余剰
余剰が生まれ、それを管理するためにメソポタミアのような土地では文字が生まれた。
まず共有倉庫に余剰品(例えば穀物)を納め、代わりに文字で書かれた借用証書をもらった。
この時点で仮想通貨という概念が存在していた。
硬貨が生まれたのはもっと後の話。
(官僚、軍隊、宗教の話もここにある。特に宗教は重要。)
市場社会
経験価値と交換価値
交換価値は市場で取引できるものの価値を表し、現代ではなんでも交換価値に変えようとする。
一方の交換価値とは、お金で変えることができない価値のこと。
逆にお金が介在することで価値が失われる経験のようなもの。
例えば献血や善意での人助けなど。
見返りを求めていないということが価値に変わるもの。
昔(例えば三丁目の夕日のような時代)は今に比べて経験価値と交換価値のバランスがよかった。
現代になるにしたがって、全てが売り物になり、交換価値の重要性が増してきた。
このような市場社会ができたのは中世以降の話だ。
そこでは労働者、土地、生産手段の3つが重要な意味を持つ。
中世以降、グローバル貿易が始まり国際的な市場では羊毛、絹、刀、香辛料が価値を持ち、商人たちがお金持ちになった。
それをみたイギリスの(封建社会の)領主は領地で働く農奴を追いやり代わりに羊を飼うようになった。
これが囲い込みである。
追いやられた農奴はその後の産業革命を経て、自分の労働力を市場で売るようになった。
(それまでは領主は農奴に土地を(無償で)貸して年貢を納めさせていた。)
領主は自分で羊を飼うのではなく、農奴を雇って羊を育てることになった。
ここでは農奴は領主から土地を借りて働き手を雇って生産し、市場で売り、領主に土地の賃料を、働き手に賃金を払うようになった。
こうして元農奴は小さな農場を経営する起業家になった。
第3章
借金の重要性
ここまでくればあとは現代にも似てきて理解しやすくなる。
この商業主義時代では借金をすることが当たり前になってくる。
これに最も寄与したのがプロテスタントの思想である。
カトリックでは利子の概念が否定されてきたが、プロテスタントでは容認されている。
これが起業家の事業を後押ししてくれる借り入れをしやすくし、より熾烈な競争を生んだ。
この流れは少なくとも彼らが借金を返せる限り続いた。
第4章
銀行の役割
銀行は今実際に存在するお金の範囲を超えて人にお金を貸し付けることができる。
さらに銀行は自分が損をしないように、貸し付けたときの債権を投資家に売ることによって債権が回収できなくても投資家に損をさせるだけで済むようにした。
もちろん金融危機によって、経済の歯車が逆回転することもある。
そのとき起業家は借りているお金が返せなくなり、工場を閉鎖し、労働者が露頭に迷い、物が売れなくなる悪循環に陥る(=不況)。
しかしそこでも今度は中央銀行が紙幣を発行することでまた(市中)銀行に貸し付けを行い、また誰でも借り入れできるようにしてその悪循環を元に戻そうとする。
そして本当にどうしようもなくなったとき、政治の力が働く。(詳細は後述)
余談だが、公的債務は人が借金をして作る債務よりも流動性が高く、経済を回す原動力になりうる。
第5章
労働とお金
金融(経済)危機の教訓は2つ。
労働市場で見る不況と短期金融市場で見る不況だ。
前者でポイントになるのは、他の市場と異なり労働力は交換価値は満たしても、経験価値は満たさないということ。
また例え交換価値があったとしても雇用者が先行きに悲観的であった場合、労働者は雇用されることがないこと。
(失業はその人が自発的に選んだ結果であるという新古典派に対し、非自発的失業の存在を示したケインズ経済学との対比でもある。)
後者においても同じことが言える。
つまりどちらも人間の経済全体の先行きに対する楽観と悲観が景気を左右する。
第6章
機械化の功罪
機械化すればするほど人間は楽になるどころか、ストレスの大きいものになっている。
市場では競争が激しくなり、人は昔よりも程度の低い仕事に就いて、テクノロジーの奴隷になっている。
19世紀にはすでにカール・マルクスが生産手段でも特に労働手段、つまり機械や装置は人間に服従を強いると書いていた。
しかし市場経済には安全装置なるものも存在し、機械が人間の労働力に取って代わる前に危機を発生させる仕組みが組み込まれている。
例えば、自動化によって製造コストが下がるが、競争により価格も同時に下がり、また機械は製品を買ってくれるわけではないので需要も下がり、結果さらに価格が押し下げられる。
では人間が機械化の恩恵に預かるにはどのようにすればいいか。
それは企業が所有する機械の一部を全ての人で共有し、恩恵を共有することだ。
なぜなら今日の経済のように一部の人に富が集中すると大多数の人たちは使えるお金が減り、モノが売れなくなり、不況につながるからだ。
この考え方は次のおカネと環境の話でも同様である。
第7章
収容所は小さなマーケット
収容所では生活物資の配給が行われていたが、そこで小さなマーケットが存在していた。
そこでは食べ物、コーヒー、紅茶、たばこ、チョコレートが配給されていたが、結果的にたばこが交換価値を媒介することになった。
お金のように交換価値を媒介するものの特徴は以下の3つである。
- 必要不可欠なもの
- 手軽でコンパクト
- 劣化しにくい
市場社会と収容所との違いは政治が介入しないことである。
配給をしていた赤十字は収容所にマーケットが存在することを知らなかったのである。
市場社会では恣意的な政治の力が働くが、収容所ではその力は中立的であった。
収容所の外では政治的な力が働き、債務や税金などでマネーサプライが調整されている。
話は変わるが、政治を介入させないための試みがつい最近(2008年11月1日)にも発生した。
それが仮想通貨におけるブロックチェーンだ。
考え方としてはとてもよくできたものだったが、一つだけ問題があった。
それは上限が決まっていることだ。
これによってますます危機が発生する可能性を高め、一度起きるとそれを緩和する方法もとることができない。
これが金本位制と管理通貨制度の違いである。
第8章
破壊がお金を生む
交換価値が経験価値より優位な現代では環境問題が蔑ろにされる。
(外部不経済やコモンズの悲劇)
しかしこの流れも少しずつ政治の力によって修正されつつある。
その一つが排出権取引である。
交換価値を生み出すために経験価値の源泉、例えば自然などの共有財産を我先にと汚染することを制限するために政治の力が働く。
大切なのは6章での機械化のときには機械を共有して機械化で生まれた利益を分配したり、
7章での通貨の管理方法を(政府ではなく)人々の手に与える、
そして今回のように今価値化されていない地球資源などの価値を共有するなど、民主化を進めることだ。
お金持ちも貧乏な人も平等に1票の投票券を持つ民主主義が不況や機械化による貧富の差や環境問題に歯止めをかける答えになる。
感想
わけあってじっくり2周読む機会があったが、2周してようやく著者の言いたいことが分かった気がした。
部分的に抽象的だったり、欧米のキリスト教中心世界の寓話が例として挙げられていて読みづらかったが理解するととても深い洞察が得られた。
と同時に、本の中で書かれている平易な内容は経済理論で言うところの何を暗喩しているのかにも興味が出て、
封建制や重商主義、三角貿易や古典派経済学、新古典派経済学、マルクス経済学、ケインズ経済学なども調べるいいきっかけになった。
次はサピエンス全史をまとめてみたい。