たくろぐ!

世界一のチラ裏

人生は道で人とすれ違うようなものだ

道歩いてると人とすれ違うときにぶつかりそうになることがあります。 お互いに相手がどっちへ行こうとするのかわからずにあうとーどうぞって道行こうとすると相手も通ろうとするし逆に譲ろうとすると向こうも讓っちゃうみたいなシチュエーションがあります。 僕最近よくあるんですが、仕事考えたときに最終章考えた時にどうすればいのかなってことなんですね

これはすれ違う人同士がお互いに目を合わせてしまうとお互い譲り合いの精神が働いてしまってどうぞどうぞになってしまうからくることなんだと思います。

したがって僕はもし向こう側から人がやってきたときに事前にぶつかりそうだなと察知したら僕は下を向きます。

実はそうするとうまいこといってお互いにどうぞどうぞって譲り合わなくて済むようになります。

以前本かなにかでその理論について読んだことがある気がするんですが、要は目があってしまうとお互いに遠慮してしまうから相手から目をそらして右に行くと決めたら右にひたすら突き進むと向こうもそのことを察して僕のことをあいつは前を見てないし道を譲らないだろうと考えて僕が向いた方と逆の方向に歩いてくれるんです。

歩いてて人とよくぶつかりそうになる人は試しにやってみてほしいんですが、こうすると思いのほかお互いに遠慮してぶつかりそうにならずにうまくいきます。

お互いぶつかり合わずに行きたい方向にいけるようになるんです。

これを人生に当てはめてみるとまたおもしろいです。

よく人生においてお金があればあるほど選択肢が増えると言われることがありますよね。

僕は人生において「お金があれば」とかそういうことはないと思うんです。

逆にお金があればありすぎるほどいろいろな選択肢が見えてしまって余計に迷ってしまうことになると思っています。

もちろんそれなりのお金が必要だと思います。 ぼくもお金なんてなくてもいいとは言いません。

それは単に僕がただ日本に住んでるから、特にお金に困ったこともなく今まで26年間生きてこられたってだけだからです。

お金に困っていたたくさん世の中にはいます。

現に今も途上国などではお金に困って生活している人がたくさんいるし、そんな人がいるのに裕福な国に住んでいる人がお金なんていらないと言ってはいけないと思います。

したがってお金はいらないとかお金なんてなくても生きていけるとかそんなきれいごとはもちろん言うつもりはないんですが、まぁお金はそれなりにあればいいと思います。

というのは、お金を持ちすぎてしまうとそのお金を使っていろんなことができますよね。

ギャンブルもできるし夜女の人と遊ぶこともできるし海外旅行に行ったりゲームを買って遊んだり友達と飲みに行ったりいろんなことができますよね。

もちろん娯楽がない人生っていのはつまらないかもしれません。

でも人生っていうのはさっきいったみたいに道の譲り合いじゃないんです。

自分の道を決めてその道に向かってひたすら歩きつづける、これが人生をより豊かにするための方法だと思うんです。

お金が欲しいとかたくさん稼ぎたいとかリッチになりたいとか、人生においてお金が生きる目的になってしまっている人、こういう人たちってやりたいことがないと言っているのと同じことだと思うんですね。

どういうことかっていうと、このような人たちっていうのは、お金があれば大抵のことができるしないよりはあったほうがいい、だからお金がほしい、こう考える人たちだからです。

このお金を使って具体的に何かしたい、世の中を変えたいとかそういう目的意識があってお金を稼ぐというのはこれは手段なので、お金を得ることが目的ではないのでいいと思います。

でもお金を稼ぐことが目的になってしまう人、お金の使い道を何も考えないでお金があれば何でもできるとか、お金があれば安心とかそういう考えでお金を稼ぐことが目的になってしまう人ってとても悲しいと思いますし、残念だと思います。

ぼくは今それなりに生活はてきていますがいろいろお金には苦労しています。

だけどそれよりも今やってることに関してたいしてやりがいや生きがいを感じてますし決して恥じない生き方をしています。

後悔しない生き方をしています。

これを続けることによって将来お金に困って大変な目にあうかもしれないです。

今はただラッキーだと思って後悔のないように一日一日を大切にいきていまが、明日には路頭に迷っているかもしれません。

自分の好きなことを好きなだけやってるので最悪他人に迷惑をかけないようには気をつけていますが、正直言うと自分でも自分の将来が不安です。

ですがぼくはいま自分の登るべき山を見つけてその山のてっぺんに向かってひたすら時間をかけて登っている最中なんです。

途中で雪崩が起きて夢果てようとも後悔しないで生きているつもりです。

親より先に死んで親不孝になっても自分の人生を精一杯生きたと思って死ぬと思います。

そこに後悔はないです。

もちろん結果としてそうなってしまったら僕も残念ですし親にも本当に申し訳ないなと思います。

だからそうならないようになるべく精一杯自分の持てる時間の限りその山のてっぺんに向かってひたすら登り続けようと思ってがむしゃらに頑張っています。

この僕の生き方が正しいか正しくないか、それは人それぞれですし難しいと思いますが、人生においてお金を稼ぐことが目的だとそういう生き方が正しいのかどうかを判断するというのはそんなに難しくないと思います。

人生とは道を歩いていて人とすれ違うようなものなんです。

相手に気を遣って道を譲ろうとかどっちがどっちを通るとかそういうものじゃないと思うんですね。

道で目が合ってしまったら、人生においては人の目が怖いからといって安定した道を選ぶとか挑戦しないでそのままやり過ごすとかそういう人生を選んでいては人生の最期を迎えたときに後悔してしまんじゃないかなって思います。

とある老人がこう言っています。

もう一度人生をやり直せるなら・・・・ 今度はもっと間違いをおかそう。 もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。 絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。 この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。 もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。 もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。 もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。 もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。 もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。 もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。 もう一度人生をやり直せるなら・・・・ だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。 私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか? 自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・ もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。 人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。

これはかの有名な「マネジメント」の作者ピーター・ドラッカーの95歳のときに書いた詩だと言われています。

人生もっと無茶をすればよかったと、でも今はもうやり直しのきかない体になってると。

今さら後悔するんだったら若いとき、もっと無茶がきくときにがむしゃらに頑張れば良かったと。

悩みごとにくよくよしないで一度やってみたり、失敗してみればよかったと。

ちょっと失敗したとしても取るに足りないことが多いと。

明日死ぬかもよ?というタイトルの本にも同じようなことが書いてありました。

明日死ぬと思って生きなさいと。

後悔のないようにいきなさいと、一日一日を。

後悔のないように生きるのにその一日をお金を稼ぐことに使えますかと。

自分が本当に面白いと思うことやりたいと思うことを一生懸命やりたいし、そういうことを人に伝えたいと思いませんかと。

がむしゃらに頑張る姿を見せることで誰かの心に残るようなことをしたいと思いませんかと。

人がこういうからとか、親にこう言われたとか、人の目が気になってとか、世間の目が冷たいとかそれらはすべて言い訳だと思います。

自分はどういうことをして一生を終えたいのか、自分が死んでも世の中に何が残せるのか、子どもにどういう姿を見せたいのか、そういうことを考えたときにお金っていうのはそんなに大きな障害にはならないと思うんです。

もちろんお金があればできることが増えますがその分人は迷ってしまうんです。

登るべき山がいくつも見えてどの山に登ればいいかわからなくなってしまいます。

だからソフトバンク孫正義さんはこうやっていっているんです

登るべき山を見つけたなら人生半分終わってる、と。

本当にその通りだと思います。

ヒトからどう見られるとか、逆によく見せたいとかそいことではなくて、自分が世の中に何が残せるのか自分ができることでどうしたら人に喜んでもらえるのか、

こういうことを考えるとおのずとその登るべき山っていうのが見つけられると思うんです。

その登るべき山を見つけられないでいる人たちがお金を求めるんです。

お金持っていて損しないから、お金があればたいていのことはできるから。

そうやって自分の登るべき山を決めるっていうことを先延ばし先延ばしにしているんです。

結論を後回しにしているんです。

目の前のタスクや仕事を先延ばしにしてしまうことをプロクラスティネーション(procrastination)と呼ぶのですが、登るべき山を決めないのは最大のプロクラスティネーションだと思います。

お金が貯まったら考えよう、お金があればなんでもできるし。

こうやって考えているのでお金がいくら増えても登るべき山がいつまでも見つからないのです。

そうして人生の最期を迎えたときに後悔して死んでしまうのです。

僕自身今もお金に困っていて両親も僕のことを心配しています。

この生活がいつまでも続くとは思えないし将来不安です。

だけど毎日毎日一生懸命生きてるし後悔しないように生きています。

親は子どもの幸せを祈るものですが、その幸せを決めるのはその人自身なんです、親じゃないんです。

親の心を子知らずという格言がありますが、僕は逆もしかりだと思います。

つまり子の心親知らずなんです。

どの時代も親は子供のことを心配するものなんです、それは仕方のないことなんです。

でも1番の親孝行は僕はこうやって幸せに生きてるよって行動で示すことなんですね。

僕は一生懸命生きてるよ、元気でやってるよ、ってことなんです。

子どもが何度心配しなくていいよと言っても親は心配するものなんです。

そういうありふれた言葉で伝えるのではなくて、具体的な行動や客観的な成果で示すってことがいちばん親のことを安心させるんじゃないのかなと思います。

とはいっても僕は親になった経験がないので想像でしかないというのは残念なんですが。笑

人生というのは道を歩いていて人とすれ違うようなものなんです。

すれ違う相手と目が会ってしまえばお互い遠慮して道を譲り合ってしまいますが、行くべき道を決めていればぶつからずに済むんです。

たまにはぶつかるもいいと思います。

お互いに下を向いていてぶつかってしまうことも。

今の人たちはお互いに遠慮しすぎてると思います、周りの目を気にしすぎていると思います。

そうではなくてまず自分の登るべき山を見つける、そしてそのてっぺんに向かって周りに目もくれず上り続けるこういうことが大事なんじゃないでしょうか

お金を稼ぐことが人生の目的だと言ってまず先にお金を稼いでしまう。

そうするとその後の人生もどんどん結論を先送りにしてしまうんです、何を買うか決めずにお金を稼ぎ続ける人生になってしまうんです。

どう使うかいつ使うか何に使うかわからないままそれでもお金を稼ぎ続けるんです。

そして死ぬときにいっぱいお金を抱えて死ぬんです。

あなたの人生の目的はなんですか。

お金を稼ぐことだけですか、人目を気にして安定した職に就くことですか、無難な人生を送ることですか楽な人生を送ることですか。

途中の人生が苦しい方って辛くたって大変だって後々思い返してみて笑い話なればいいじゃないですか。

そういう経験のひとつひとつが話の種になって、人生をより豊かにしていくんです、他の人がもっと聞いていたいなと思ってくれるんです。

人生に遅すぎるということありません、何をやるにも遅すぎるということはありません。

後悔しない人生をいきましょう。

(音声49分、修正1時間6分)

※以下、音声認識原文まま

この記事はMac音声認識で執筆しました。一部読みにくいところがありますがご了承ください。

人生とはなんぞやってところもまあ26歳の若輩にはなるんですけどもそういうことに関してもねなんとか話せればと思います

では始めます

最近ぼく道歩いてるとですね向こう側からやるでクル人ますれ違うんですけれども続き2お互いに道を譲りあうとーどうぞってカンジでゆうた道行こう登録すると向こうも取ろうとするし逆に譲ろうとすると向こうも讓っちゃうみたいなそういうえー何点ですかね譲り合い見たのってあるともんですね僕最近よくあるんですけどーすることが仕事考えたときに最終章考えた時にどうすればいのかなってことなんですね

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そうすると実はうまいこといってお互いにどうぞどうぞって譲り合わなくて済むんですよね

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ちょっと話が飛躍するんですけどこれは新鮮に温めてみるとですねちょっとまたおもしろいですね

よく人生においてお金があればあるほど選択肢が増えるとかいますよね

僕は人生においてお金があればとかそういうことはないとおもうんです

逆にお金があればありすぎるほどいろいろな選択肢が見えてしまってよけ迷ってしまうことになるかもんです

もちろんそれなりのお金が必要だと思いますぼくもお金はなくてもいいとは言いませんそれはね僕がただ日本に住んでるから特にお金に困ったことをなく今までに26年間してこられたってことだなのでもちろん金に困っていたたくさん世の中にはいます

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お金はまあそれなりにあればいいとおもいます

お金をもちすぎてしまうとそのお金を使っていろんなことができますよね

ギャンブルもできるしー女の人と遊ぶこともできるし海外旅行に行ったりゲームを買って遊んだり友達と飲みに行ったりいろんなことができますよね

もちろん娯楽がない人生っていのはつまらないかもしれません

でも人生っていうのはさっきいったみたいにみちや譲り合いじゃないんですね

自分の道を決めてその道に向かってひたすらあるきつづける、これが人生をより豊かにするための方法だと思うんです

話はちょっと変わるんですがお金が欲しいとかたくさん稼ぎたいとかりちになりたいとか

お金が目的になってしまっている人こういう人たちやりたいことがないと言っているのと同じことだと思うんですね

どういうことかっていうとお金があれば大抵のことができるしないよりあったほうがいいだからお金がほしいこう考える人だからです

このお金を使って何かしたい世の中を変えたいとかそういう目的意識があってお金を稼ぐていうのはこれは手段なのでいいともんですね

でもお金を稼ぐことが目的になってしまう人お金の使い道を何も考えないでお金があれば何かできるとかお金があれば安心とかそういう考えでお金を稼ぐことが目的になってしまう人恋人がとても可哀想だと思います悲しいと思います

ぼくはいまそれなりに生活はデキテますけどいろいろお金は今苦労してます■現在袋してます

だけどそれよりも今やってることに関してたいしてやりがいや生きがいを感じてますし決して恥じない生き方をしています

後悔しない生き方をしています

将来お金に困って大変な目にあうかもしれないです

今はただラッキーだと思って後悔のないようにいちにちいちにちイチニチを大切にいきていますけど明日に路頭に迷っているかもしれません

自分のやりたいようにやってるので最悪人に迷惑をかけないようにだけは気をつけていますが正直言うと自分でも自分の将来が不安です

ですがぼくはいま自分の登るべき山を見つけてその山のてっぺんに向かってひたすら時間をかけて登っている最中なんですね

途中で流れが起きて夢はてようともコウカイしないつもりです

親より先に死んで親不孝になっても自分の人生を精一杯きたと思って死ぬと思います後悔はしないと思います

結果としてそうなってしまったら僕も残念ですし親にも本当に申し訳ないな思います

だからそうならないようになるべく精一杯自分の持てる時間の限りその山のてっぺんに向かってひたすら登り続けようと思います

この僕の生き方が正しいか正しくないかそれは難しいと思いますが人生においてお金がお金を稼ぐことが目的だとそういうです生き方そういう言い方が正しいかどうかっていうのはそんなに難しくないと思いますを判断するの

人生とは道を歩いていて人とすれ違うようなものなんです

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僕自身今お金に困っていて両親も僕のことを心配しています

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だけど毎日毎日一生懸命生きてるし後悔しないように生きています

親は子供のしあわせを祈るものですけどその幸せを決めるのはその人自身なんですおやじゃないんです

親の心を子知らずという格言がありますけど僕は逆もしかりだと思います

つまり子の心親知らずということですね

どの時代もおやは子供のことを心配するものなんですそれは仕方のないことなんです

でも1番の親孝行はぼくはこうやって幸せに生きてるよってて行動で示すことなんですね

僕は一生懸命きてる元気でやってるてことなんです

子供が何度も心配しなくていいよといっても親は心配するんです

そういう言葉で伝えるのではなくて行動で示すってことがいちばん親のことを安心させるんじゃないのかなと思います

とはいってもボクも親ではないので親になった経験もないので将来どう思うか自分自身でもトテモとてもたのしみです

人生というのは道を歩いていて人とすれ違うようなものなんです

目が会ってしまえばお互い遠慮してしまうし行くべき道を決めていればぶつからずにすむんです

たまにはぶつかるもいいと思いますお互いに下を向いていてぶつかってしまうことも

今の人たちはお互いに遠慮しすぎてると思います周りの目を気にしすぎていると思います

そうではなくてまず自分の登るべき山を見つけるそしてそのてっぺんに向かって周りに目もくれず上り続けるこういうことが大事なんじゃないでしょうか

お金を稼ぐことが人生の目的だと言ってまず先にお金を稼いでしまう

そうするとその後の人生もどんどん結論を先送りにしてしまうんですナニを買うか決めずにお金を稼いでしまうんです

どう使うかいつ使うか何に使うかわからないままそれもお金を稼ぎ続けるんです

そして死ぬときにいっぱいお金をカカエテ死ぬんです

あなたの人生の目的はなんですかお金を稼ぐことだけですか人目を気にして安定した職に就くことですか

無難な人生を送ることですか楽な人生を送ることですか

途中の人生が苦しい方って辛くたって大変だって後々思い返してみて笑い話なればいいじゃないですか

そういう経験のひとつひとつが話の種になって人生をより豊かにしていくんです他の人がもっと聴きたいなと思ってくれるんです

人生に遅すぎるということありませんナニをやるにも遅すぎるということはありません

後悔しない人生をいきましょう

(音声49分、後日修正予定)