たくろぐ!

世界一のチラ裏

数年ぶりに26歳の弟と会ったら頭がガッチガチで頑固すぎて引いた件

クッソハイライト

2歳離れた弟がまだ26歳の若造のくせに頭ガッチガチで
頑固すぎてお前今のまんま頑固で人のアドバイス
聞けなかったら歳とったら誰も助けてくれないぞ
って精一杯のお兄やんアドバイスをしてやった話

その日はほぼ俺がおごったので
俺の話聞いて変わりたいと思ったなら
今度はお前から俺を飯に誘えよって
言ったけどそれから連絡はまだないって話

ほんと大丈夫かなお兄ちゃん心配・・・

ことの経緯

内容はハイライトの通りなんだけど
ことの経緯からまず

僕の弟は2歳年下の26歳で
今は自分の店を持つという夢を持ちながら
東京で料理人をやってる

彼がその夢を持った直接のきっかけは
小学生のとき家族旅行で行った
蔵王かどこかのスキー場のペンションの
フレンチに感動したからと聞いている

僕も同じ料理を食べたと思うけど
もっとどさっと盛れよくらいは
思っただろうがそれ以外全然覚えていない

そこから弟はその夢をずっと持ち続け
高校からはバイト三昧で
お金を貯めてすぐに独り立ちをして
料理専門学校へ行った

僕はそのときなんの目的意識もなく
ただ漫然と大学に行っていたから
弟が料理専門学校に行って一人暮らしを始めた
と親から聞いてすげーなと純粋に思った

それから実家へ帰るたびに
弟の話は親からよく聞いていたが
うちの家庭はかなりドライなので
直接会うことも2,3年に1回くらいで
僕が気が乗ったタイミングで
連絡を取るくらいのゆるい兄弟関係だった

それで今回もふとしたタイミングで
弟の顔が浮かんだので連絡を取ってみた

一番気になったのはたぶん
あれだけ早い時期に自分の店を持つと
言っていたのにまだ実現してないから
せっかくならお兄ちゃんとして何か
手伝ってあげられないかな〜と思ったから

やっぱり兄弟って大事だよね

そんでいろいろ調整して1週間後に恵比寿で
ごはーんすることになって海南鶏飯を予約した

デート当日

当日はちょっと早めに落ち合って
猿田彦珈琲でコーヒー飲んだり
アイリッシュパブでパンクIPA飲んだりしてから
海南鶏飯に18時オープン直後に入って
いろいろ話をした

弟は親から親は今年定年を迎えるので
保証人になれるのは今年いっぱいだと
聞かされたらしく夢のフランスを旅したいと
言っていたので僕はせっかく親がそう言ってるなら
親から金借りて行ったら?って言った

でも弟は
- 日本でも学べることはある
- 親の金を借りたくない
- ビザが取れるかどうかわからない
- 今行っても吸収できるだけの知識がない
とかの理由を難しい言葉をいくつも使って
理屈っぽく言っていた

最近親から聞いた話だけど
弟は一つ星レストランで修行していた
らしいのだがそこでついていけず
最終的には心労をきたし
挫折したということだった

あくまで推測だが
その挫折経験が弟には
大きかったのだと思う

フランスに行かない理由が
全部言い訳にしか聞こえなくて
理論武装して自分に嘘をついて
すげーかわいそうだと思った

そしてさらにかわいそうだと思ったのは
話をしていても自分の自慢話ばかりするし
一緒に働いている人はあれがだめだの
今めっちゃ楽してけっこう稼いでるとかの
話ばかりで目の前の相手とコミュニケーションを
取ろうという意志がまるで見えないことだった

自分が性格が悪いことも認めつつ
直す努力をするよりもそれのほうが
「こいつおもしろいやつだな」と
思われるからいいんだと言うし
それが俺の価値観だと言う

それ言われたらお兄ちゃんは
何もアドバイスできないんですけど!(苦笑)
って思うことばかりで全然聞く耳を持たないし
すごく頑固で残念だった

もちろん僕は価値観の相違は認るし
別に弟の価値観がおかしいとか
言うつもりもないけど
ただ単になぜ開き直ってしまうのだろうと
純粋に疑問に思った

話を聞いていると5分も10分も一方的に話すので
認めてもらいたいんだろうなぁと感じるものの
自分は変わる必要ないんだと開き直っているので
認めてもらう努力をあえて捨てているように見えるし
何がしたいのかな〜って始終思ってた

それが本当に自分を持つってこと?
価値観が違うから放っておいてくれってこと?

少し頭がいいと相手の言うことに
騙されまいと考えて
なかなか人の言うことが聞けない人も
いるかもしれない

僕もその幻想に囚われていた一人だったし

まぁ難しいよね

ちょっと考えがまとまらない

編集中

まとめ

仕事ができたり頭がよかったりよりも
人間的な謙虚さや素直さの方が100倍大事!

特に頑固で人の言うこと素直に
聞けない人は絶対的に損する!

それが邪魔するのは
自分が少し人より頭がいいからっていう
セルフコンフィデンスからなのか

騙されたくないっていう
貧乏体質からなのか

人は性悪説だとして
何事もネガティブにしか
とらえられないからなのかわからない

いずれにしても頑固はくそもったいない

人として成長したいなら
自分から積極的に過去の自分を捨てて
変わり続ける努力をしていくべき

人は誰もが今いる場所が心地いいっていう
コンフォートゾーンを持っていて
変わろうという魂の声を脳が抑制してる

それは意識して変えたり
大きな夢を描いてその理想の姿を
コンフォートゾーンにしていったりという
工夫をしていかなければ
どんどん頭が固くなっていってしまう

たった26歳でそんな頭固くてどーすんの!
そんな人の意見も聞けない人になっちゃったら
誰も助けようと思ってくれないよ!

もっと自由に夢を描こう!
理想の自分やライフスタイルを思い描こう!

今理想の自分じゃないことに
私らしくない!僕らしくない!と
感じて一刻も早くその自分から
抜け出す努力をしよう!

そこからあなたの第二の人生は
始まるYO!!

お兄ちゃんは応援しているよ!!

僕の好きなサクセスストーリー1:ソフトバンク社長孫正義

努力家が好き

僕は努力家が好きだ
努力は必ずしも報われるとは限らないが
もし人が努力をしないなら
報われるという意識もなく
結果を当たり前のように受け取ってしまう
それはとても悲しいことだと思う

はじめの一歩の鴨川会長に言わせれば、

努力した者が全て報われるとは限らん。
しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!

という言葉は
毎日努力している人にとっての
救いの言葉であって
とても奮い立たされる言葉の一つだ
かという僕もとても好きな言葉の一つだ

僕の好きな人物1「孫正義

孫正義さんといえば
ソフトバンクの経営者として
知らない人は少ないと思うけど
彼の本は社会人になってから
当時出ていた本はだいたい読んだと
言えるほどかなり好きで読んでいた

最初に知ったのは
友達から薦めてもらった
2011年新卒説明会の動画で
その志の高さに夢を描くことの
大切さを学ばされた

孫さんは在日の方で
佐賀県の無番地で生活していたといい
決して裕福な家庭ではなかったらしい
父親は一応は経営者だったようだが
夜飲食店に残飯をもらいに
おばあちゃんと台車で練り歩いていた
というほどだから恵まれていたとは
考えにくい

とはいえ音楽以外は(確か音痴)
運動神経もよく学業も優秀で
生徒会長など小さい頃から目立つことに
率先してチャレンジしていたようだ

転機になったのは
中学生のとき(確か2年生?忘れたw)

司馬遼太郎の龍馬がゆくを
読んで龍馬の強い志に涙して
アメリカに行くことを決めた
(脱藩すること=アメリカに行くこと)

最初こそ語学を一から学ぶことに
苦労したというがその地頭の良さもあって
みるみる上達し飛び級で大学に進学することになった

そこではご飯を食べる時ですら
本を片手に寝る暇も惜しんで
誰よりも勉強していたといい、
学業も優秀で有名な大学からの
引き合いも多かったという
(おそらくマスターコース)

そして19歳のとき
かの有名な人生50カ年計画を立てて
ほぼその計画通りに今や兆をゆうに稼ぐ
大企業を一代で築き上げた

実は孫さんは本で読まないと日本では
わからないくらい実は日本よりも
アメリカでまず大成功している

UCLAの学生のときに
自動翻訳機を大学の教授を巻き込んで
日本のSHARPに売り込み
1億円(今の価値でいうと3億くらい)
という資本を得てそこから
その元手を使ってインベーダーゲーム
UCLAの近くのゲームセンターに入れて
そこでも1億くらい稼いだという

その後福岡で会社を立ち上げ
ハドソンと代理店契約を交わし
少しずつ会社を大きくしていく

そのときかの日本マクドナルド創業者
藤田田さんとも会って話をしたといい
そのとき藤田さんに
「今後はコンピュータだ」と言われ
コンピュータに関係する仕事をすると決めたらしい

実はその後再会したときにそのときのことを
話して藤田さんからパソコンを買ってもらった
という逸話も残っている

その後展示会を運営する会社や
出版メディアなどの買収を通して
アメリカのIT業界でも有名な経営者として
名を知らしめるようになった

そのとき時代はITバブル
一瞬だけと言っていたが当時
ソフトバンク時価総額
かのMicrosoft時価総額
上回ったときもあると言っていた

そのちょっと前だったか
いっとき孫さんは大病を患ったことがある
しかしそのときは凄腕のお医者さんの助けも
あって山場を越えて現在は後遺症もないらしい

確かにそのときは大変な時期だったというが
そのときに読んだ本からインスピレーションを
得ることも今の自分に大いに役立っているとも
言っていて何事もどうやってとらえるかが
大事だと感じさせられた

その後日本でADSL回線の契約に乗り出し
累計100万回線の契約に成功するも
NTTが回線の貸し出しを渋り
総務省(当時は忘れたw)へ直談判し
「このままうちの100万のユーザーを
路頭に迷わせるならここでガソリンを
かぶって死ぬ」といい、
総務省の役人をビビらせて
結局回線を借りることに成功した

僕はこの場面が一番好きで
決して顔が見えないサービスで 「決してユーザーを裏切らまい」という
100万人のユーザーを思い描いた孫さんの
確固たる決意と情熱に感動した

その後vodafoneを買収し
3大キャリアの一つとして巨塔docomo
肩を並べる通信インフラ企業として
名乗りをあげることになる

当時は元国営企業であるdocomo
挑むのは無謀だと各方面から言われたというが
その情熱とユーザーを思う心もあって
満足度の向上とともにdocomoと比肩する
売り上げで5兆を安定的に稼ぐ大企業となった

昨今ではゲーム会社の買収や
ソフトウェア販売のプラットフォーム、
金融事業への参入等数多くの新しいビジネスを
やっていてもはや何の会社かわからなくなっている

同じほらふき三兄弟の一人である
ユニクロの柳井さんに言わせると
「最近のソフトバンク虚業だ」 と言われるほど動きがとても早く
意思決定の速さには驚かされる

もしかすると柳井さんは
コアコンピタンスを失った企業は
成長が鈍化するということを言いたい
のかもしれないがリスクヘッジだと
考えれば創業者社長の特権を生かした
意思決定の速さは存分に
生かすべきだと思った

とはいえ残念だと思ったのは
ちょっと前に金融事業で
みずほと提携するというニュースが
あったことだ

かなり情弱相手のビジネスだっただけに
とても残念だった

アメリカ市場で苦戦しており
スプリント買収の負債を回収するためなのか
多くの従業員の生活がかかっているから
なのかはよくわからないが
今後ソフトバンクがどうやって
現在の危機を脱していくか
とても楽しみだ

好きなところ

前にも述べたがやはり
総務省に押し入って啖呵を切ったところが
僕のなかで最高に好きな場面だ

孫さんは計算大好き
ビジネス大好きなので
当時本当に100万人のユーザーの顔を
思い浮かべていたかはわからないが
(でも多分思い浮かべていたと思う)
自分のユーザーのために民間人が裸一貫で
官僚主義の官公庁に乗り込むその情熱を
想像すると今でも涙がこみ上げてくる

孫さんが好きすぎて
いろいろ細かいこともめっちゃ知ってる
ソフトバンクアカデミアのこととか
pepper開発の道のりとか私生活とか ゴルフ大好きとか娘さんは留学してるとか
奥さんとは学生結婚して入籍の日を忘れていたとか
それこそ自分の父親のように思えるほど
愛してやまないけどやっぱりエピソードでいうと
yahooBBのときに総務省に直談判しにいった話が
ダントツで好きだ

こんな経営者にいつかなりたいし
孫さんの300年続く企業を作るということなら
この本当にユーザーのことを考えているかどうかが
よくわかるエピソードだと思った

最近年収2000万を超える人や
超がつくほどエリートのデザイナーの友達など
環境に恵まれていてとても刺激を受ける毎日だけど
それでも僕の夢を作った原点はこのエピソードに
ほかならない
迷わず焦らず今できることに全力で取り組んで
着実に夢を現実化させていきたい

次回はイーロン・マスクについて書こうかなと
画策中!
彼も大好きな経営者の一人!
人生学びが多すぎて楽しすぎて困る!
努力してもし足りない!

最後にこのブログが誰かの
モチベーションアップの支えになれば
僕にとってこれ以上の幸せはありません!

そこのあなた!
読んでくれてありがとう!
幸せになろう!!!!!!!!!!!!!!!!!